店主のブログ

2009年10月12日

まつ乃家まりこ引き祝い

店主SaYaの営業日誌-Image3091.jpg

店主SaYaの営業日誌-Image3511.jpg

店主SaYaの営業日誌-Image3211.jpg

がんで亡くなられた大井芸者置屋の女将、まりこさん。
献花に昨日、行ってきました。
引き祝いだから、「おめでとうございます」なのです。

まりこさんの好きだった黒田節。
まい可ちゃんの十八番、おてもやん。
大井芸者踊りに東京音頭も。

栄太郎さんもまい可ちゃんも立派になられて、まりこさん安心したんだろうなぁ。

OLから芸者に転身したしのぶさんも、とても上手になられて。

まりこさんの会らしく、楽しく盛り上がりました。
志し高い人だったから、天国できっと、次のやりたいことに向かってがんがん仕切ってることでしょう、閻魔さんもたじたじだよね、なんていいながら。

置屋のみなさん、今後もますますのご発展、心より願っております。
今後もお世話になります~。

■47歳女将 志半ばの死 置き屋『まつ乃家』まりこさん 花街再生へ尽力■
 
東京新聞 2009年10月11日 朝刊

4月の大森さくらフェスティバルで踊りを披露するまりこさん=東京都大田区で

 かつての花街、大井海岸(東京都品川区)のにぎわい復活を目指し芸者置き屋まつ乃家(同区南大井)を始めた女将(おかみ)のまりこ=本名・広瀬真理=さんが九月二十三日、闘病の末、志半ばで亡くなった。斬新なアイデアと精力的な活動で、大井海岸芸者の名を広め伝統を継承しようと、全力疾走した人生。葬儀には約五百人が参列し、四十七歳の早すぎる死を悼んだ。 (松村裕子)

 まりこさんが芸者になったのは結婚、出産後。小学生のころ、京都で舞妓(まいこ)姿で写真を撮ったときからあこがれていたらしく、そのときの写真やかんざしは今も置き屋に残っている。古里の南大井は、かつて料亭が軒を並べていたが、今は料亭の後にマンションが建ち、大きく様変わりした。

 まりこさんは花街の面影が残っていた幼少期の話を子どもたちに聞かせていたといい、大井海岸の花柳界復活を夢見ていた。

 「いつか大井海岸に店をもちたい。大井海岸芸者をもっとアピールしたい。大井海岸にも芸者がいるとみんなに分かってほしい」

 当初は別の置き屋に所属したが、二〇〇四年に独立した。長男の女形芸者栄太朗=本名・永之介=さん(23)と、長女で半玉(はんぎょく)(舞妓)のまい可=同麻依可=さん(18)の親子三人だけで、「子持ち芸者」「女形芸者の息子」と変わり者に見られた。

 くじけず、インターネットで芸者や客を募集。安価で楽しめる「大宴会」と銘打ったイベントを催すなど、花柳界では珍しい試みに果敢に打って出た。商店街や観光協会とタイアップした催しにも積極的に参加。他県へ遠出することもあり、ときにはマカオまで出掛けて大井海岸芸者をPRした。

 数年前に見つかった子宮がんなどで、二度も手術を受け、入退院を繰り返した。その都度、不死鳥のように復帰。今年四月には、念願だった芸者の発表会「大井海岸をどり」を挙行した。七月に再び入院し、そのまま帰らぬ人となった。

 「いくつになっても夢をもち、自分のやりたいことを一生懸命やっていた。一代でここまでこぎ着けた、半端でなくすごい人」と語る栄太朗さん。まりこさんは二回目の大井海岸をどりのため既に来年の会場を予約済みで「来年も開いて自身も出演するつもりだったと思う。お母さんの遺志を継ぎ、絶対やる」と誓っている。

‐‐‐‐‐

ところで、留め袖で行ったんだけど背中が薄いのと四十肩でおたいこが上がらん、低い(涙)
なんかいい方法ないかな?
まつ乃家応援団を取り仕切るすてきなジェントルマン、穂積さんに「あなたは何かやってないの? 磨けば行けるよ、やりなさいよ」とおだてられ。
近々の姐御倶楽部でもしかしたら芸者側に混じるかもしれないです。ほんとか?

12月6日(日)の昼間、屋形船でまつ乃家の芸鼓をあげて忘年会やるので興味のあるかたはあけといてください!!
■姐御倶楽部

店主のブログ

だっちゃ公式Instagram